NPO法人 鬼首山学校協議会

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NPO法人 鬼首山学校協議会事務局です! 大崎市鳴子温泉の鬼首(おにこうべ)地域で行われるイベントや交流会、観光案内など、鬼首のいろいろな情報を紹介しています!

荒雄湖クルーズ~本山銅山跡

今朝も晴れの鬼首。
商店街の道路は難なく歩くことができますが、境界ブロックのある歩道は深い雪に埋もれていて大変です(:-<)

学校前の道路はデコボコなスケートリンク。ほぼ全面が厚い氷に覆われてツルツルです。
氷が薄い所を狙って、道路の中央をウロウロ~、ウロウロ~。
でも車道ですから、結局、端の積雪の中を歩くことになります。

凍った雪の上は滑らないし、踏んでも沈みは浅いし、足形を残しながらザクザク、安心して歩くことができます(:->)少し冷たいし、靴は濡れますが。

校長は朝の挨拶で、「この雪の状態は春、3月の様です。宮沢賢治の雪渡りとは・・・」
・・・雪渡り?・・・川渡のお酒(:->)・・・お話は分かりませんが、雪が今日のような状態なのね。

さて、ムネニクさん、初冬の荒雄湖クルーズ最終回。
「ここは『本山銅山』跡です。江戸時代には随分栄えたそうですよ。」
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それで、お皿・・・。
生活用品・・・ここに街があったのですか?
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その答えは、帰って黙って渡されました、『鳴子町史』。

・・・この「玉造」郡という名前は、古代においては玉の産地だったことによる。・・・
鳴子温泉は以前、「玉造郡鳴子町」でした。今は大崎市。

・・・安永・天明期の田沼時代は、銅が中国向けの最大の輸出品となり、銅山が活気を呈した。
鳴子村 : 本山銅山・鷹ノ巣銅鉛山・熊沢銅山
大口村 : 館石銅山
鬼首村 : 保呂内銅山
銅山には、他所から来た大勢の「金(かね)ほり」(鉱夫)が入山し、隔離された集団生活をなしたので、ここに独立した鉱山町ができた。・・・

なるほど、それで生活の跡が残っているんだ。
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文政時代は遊女も居たという程、盛況だった本山銅山町。

校長がキョロキョロしています。
オッ!何か発見したらしい!
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「銅を製錬するときにできた塊です。名前は分かりません。」
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・・・不純物?カラミかな?

石の中から、良く見つけられますね。
「レンガがある所にあります。」
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そう言われると、レンガが所々にありますね。

何も無い様な乾いた景色の中に、色々な遺物が転がっています。

いつまで街だったんだろう?
どれほどの人が、どの広さで、どのように生活していたのだろう?
いつ、どうして湖の底に沈んだのだろう?

町史には、天保の大飢饉以後、農村の荒廃が酷く藩財政も窮乏したので、鉱山も次第に衰えていったとありますが、詳細は分かりません。
文化文政時代の鉱山景気から、今日に至るまで、荒雄湖はどのように変化してきたのかな?
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約200年前、ここに本山銅山町・・・想像できません。

上の方で、校長が、
「高水位の時は ここまで水がきますよ。」
・・・ということは、ここは水中か。

アレ?見ているはずの、それすら想像できません。
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by yamagakkou | 2010-12-21 14:58 | 鳴子温泉